大阪2児餓死事件

提供: Yourpedia
2012年3月29日 (木) 21:06時点におけるFromm (トーク | 投稿記録)による版

移動: 案内検索
下村早苗の風俗店写真

大阪2児餓死事件(おおさかにじがしじけん)とは、2010年7月に大阪市西区で起こった事件。

概要

事件発覚

餓死した下村早苗の子供たち

大阪市西区南堀江1丁目のマンションの一室で7月30日未明、幼い女児と男児の遺体が見つかった。「部屋から異臭がする」という女性の勤務先の風俗店の男性従業員からの110番で駆けつけた西署員が2人の遺体を発見した。遺体は腐敗が進み一部が白骨化していた。

府警は同日午後、この部屋に住んでいたファッションヘルス「クラブリッチエレガンス」の店員下村早苗容疑者(23)を死体遺棄容疑で逮捕し、発表した。府警は西署に捜査本部を設置し、殺人や保護責任者遺棄致死容疑の適用を視野に捜査。

下村早苗の父は、高校ラグビー界で有名な下村大介氏。

事件の経緯

学生時代の下村早苗
  • 3月30日 マンション住民から大阪市子ども相談センター虐待ホットラインに通報
  • 3月31日 大阪市子ども相談センター職員が訪問、接触できず
  • 4月1日 大阪市子ども相談センター職員が訪問、接触できず
  • 4月2日 大阪市子ども相談センター職員が訪問、接触できず
  • 4月5日 マンション管理会社に連絡するも住民の世帯構成など確認できず
  • 5月8日 再び住民から大阪市子ども相談センターに通報
  • 5月9日 大阪市子ども相談センター職員が再度訪問するも不在。子供の泣き声聞こえず
  • 5月18日 再び住民から大阪市子ども相談センターに通報。午後に大阪市子ども相談センター職員が訪問するも不在。物音など一切聞こえず
  • 6月中旬 下村早苗、2人の子供を部屋に残し、家出
  • 6月下旬 餓死したと見られる。 下村早苗、一度帰宅。死んでいるのを見て家出
  • 7月29日 下村早苗、再度帰宅。腐敗しているのを見て再び家出
  • 7月30日 下村早苗が勤務していた風俗店の同僚男性が部屋で2遺体を発見。同日午後、下村早苗を逮捕

事件まで

逮捕時の下村早苗
クラブリッチエレガンスでの源氏名はサヤ
下村早苗の風俗店写真

捜査1課によると、亡くなったのは下村容疑者の長女の羽木(はぎ)桜子ちゃん(3)と、長男の羽木楓(かえで)ちゃん(1)。下村容疑者は2人の遺体を部屋に放置した疑いが持たれている。府警の調べに対し、下村容疑者は6月下旬ごろ、2人を残したままマンションを出たと供述し、「ご飯も水も与えなければ生きていくことはできないとわかっていた。私自身が育児放棄したことによって殺してしまった」と話している。

遺体は腐敗や白骨化しており、一部ミイラ化していた。司法解剖の結果、死因は不詳で、死後1~2カ月たっていた。胃や腸に食料は残っておらず、府警は少なくとも数日間は何も食べておらず、餓死の可能性もあるとみている。骨折や皮下出血など外傷はなかった。遺体発見時、2人は部屋の中央付近に裸で仰向けに倒れ、布団などは敷かれていなかった。

府警に対する供述によると、下村容疑者は風俗店に勤め始めた今年1月ごろ、店が借りているこの部屋に住み始めた。そのころから2人に食事を与えたり、風呂に入れたりするのが嫌になり、「子どもなんていなければいいのに」と思うようになった。6月下旬ごろ、2人を残してマンションを出た後、友人宅を転々とした。今月29日午後6時ごろいったん部屋に戻り、2人が亡くなっているのを見つけたが、そのまま部屋を出た。

供述

下村は店関係者に「子供をほったらかしにしているので、死んでいるかもしれない」と話していた。「育児を放棄して殺してしまった」と容疑を認めているという。 「ご飯をあげたり、風呂に入れたりすることが嫌になった。子どもなんかいなければいいと思うようになった」「ご飯も水もあげなければ、小さな子どもは生きていけないことは分かっていた」と供述しているという。

子供2人は昨年5月に離婚した元夫との子。下村容疑者が1人で育てていた。30日未明に発見された遺体は腐敗が進み、司法解剖で死因は特定できなかったが、死後1~2カ月で栄養不足が疑われ、死亡前数日は食事を取っていなかったとみられるという。遺体発見時、室内はごみが散乱し、冷蔵庫に食べ物は入っていなかった。   マンションの住民によると、この部屋やベランダからは、ごみが腐ったような異臭がし、1~2カ月前まで、中から赤ちゃんの叫び声のような泣き声がしていた。 同市のこども相談センターには、虐待を疑う通報が3月以降3度寄せられ、職員が5月18日までに5度訪問したが応答がなく、室内に入れなかったという。

下村早苗容疑者(23)が大阪府警の調べに、「ホストクラブで遊ぶのが楽しくて育児が面倒になった。もっと遊びたくて家を出た」と供述していることがわかった。府警は、ホストクラブ通いにはまったことが、ネグレクト(育児放棄)の直接動機になったとみて裏付けを進める。   下村容疑者は今年1月、大阪・ミナミの風俗店で働き始めた前後から周辺のホストクラブに通い始めた。4月頃には、複数の店をはしごするなどし、長女(3)と長男(1)を部屋に残したまま、2~3日間、外泊することもあったという。   複数のホストと交際していたといい、6月下旬に2人を置き去りにして家を出て行った後は、友人宅などを転々とし、妹宅を訪ねたり、地元の三重県に戻ったりもしていた。2人のことは「実家に預けた」と答えていたという。   一方、府警は31日、この部屋を現場検証するとともに捜索した。室内の居住部分と玄関までの廊下を仕切るドアの縁に、粘着テープが張られた跡があり、府警は、下村容疑者が外出している間、ドアを固定して子供たちを室内に閉じ込めようとしていたとみている。

ベランダや室内には、スナック菓子やハンバーガーの袋、おむつが散乱していた。子どもにファストフードやお菓子ばかり与えていたとみられる。近くのピザチェーン店の男性店員によると、今年2月、下村容疑者宅にピザ1枚と5個入りのチキンナゲット二つ、オレンジジュース1本を2回、宅配したという。

しかし、間もなく、下村容疑者はお菓子すら与えなくなった。「子どもなんかいなければいい」。育児を面倒だと思う気持ちが強くなったのか。最後は食料も水もない部屋に、2人を置き去りにした。

警察が遺体を発見する数時間前の今月29日夕、下村容疑者は約1カ月ぶりに部屋に戻った。その時の様子を、府警に「子どもの体は茶色に変色して腐っていた」と淡々と話しているという。

2001年頃の下村親子の映像

DVDの画面で少し若い福澤朗がスタジオから中継先に叫んでいる。

「素晴らしいお父さんをもつ早苗ちゃん、あなた幸せだぜ、な。これからも家族仲良く。ちゃんと家に帰るんだぜ」

肩に掛かる茶髪。くっきりとアイラインを入れた目。ふっくらした頬。中学の制服を着た「早苗ちゃん」が緊張した不安げな顔でうなずく。傍らの父が照れくさそうに笑う。10年前に朝のニュースショーで作られた20分番組だ。

40代初めの男盛りの下村大介が、ラガーシャツの襟を立て、きれいに髪を撫で付け、夜の盛り場で家出をした中3の娘、早苗さんを探す。プリクラの機械のカーテンの下を覗き込み、カラオケ店の受付でモニターの画面にわが子の名前を見つけ出す。番組の筋立てはおおよそ次の通りだ。

……3人の娘を抱えるバツ2でシングルファーザーの高校教師が、19年前に不良の巣だったラグビー部を熱血指導で更生させた。全国高校ラグビーの花園出場常連校となり、子育ても頑張った。だが、中学生の長女は暴走族に入り家出を繰り返す。猛練習で今年も花園出場を果たし、ベスト16に進出。試合を観戦した娘は涙を流し、父を祝福した……

まさにこの時、誰かが早苗を親身にケアしていたらあの事件は起きなかった。問題は家出ではなく、家出先で何をしているのか、その心のありかだ。父親の大介も番組制作のスタッフも真剣に探った形跡がない。それは早苗への「ネグレクト」ではないか――。

早苗は、8年半後の夏、3歳と1歳9か月のわが子を餓死させ、殺人罪で逮捕された。大阪ミナミの繁華街で働く風俗嬢だった。羽木桜子ちゃんと楓ちゃん。子どもたちの傍らに僅かな食べ物を残し、寮だった単身者用マンションには50日余り帰らなかった。

大量のゴミに埋もれた部屋の中で、子どもたちは一部白骨化していた。冷蔵庫には、飲み物や食べ物を求めた、小さな手の跡が残されていた。早苗さんは逮捕されるまで、近くのホテルで男性と過ごし、出身地の四日市や大阪市内で遊び回り、オシャレに気を配り、その様子をSNSに写真や文章で投稿した。風俗嬢のドレスで男性を誘う営業用の映像も流れた。遊びはしゃぐ母親と、猛暑のなかで餓死する子ども。

当時の非行仲間の話から浮かび上がる、早苗の中学時代は過酷だ。14歳で初体験をした。その後、相手を次々に変え、家出のお金を稼ぐために援交もした。中3では「回され」た。性の相談を受けた中学の担任が妊娠の有無の確認を手伝ったこともある。

非行に走る子が皆手当たりセックスをすることはない。それは“愛情飢餓”である。子どもは無償の愛で自信や安定感を身につける。それが得られないまま親になると、依存欲求が残り、わが子の依存を引き受けられない。ネグレクトにつながる可能性が高くなる。

父親の大介は既に他誌で、6歳ごろの早苗が、2人の妹とともに、浮気をして家を出た実母からネグレクトを受けていたと証言している。早苗の非行や子どもへのネグレクトは、それが原因だと考えているようだった。

だが、たとえ幼いときに虐待を受けても、その後十分に愛され、人が信じられるようになれば、愛情飢餓を抜け出すことはできる。早苗はその後、どのように育てられたのか。どうしても父親に会いたかった。公判期日が決まった今年の1月、手紙を書き、電話をした。電話口の大介は逡巡の末、会うことを承知した。

取材の場所に現れた大介は、練習を抜けて来たといい、ジャージ姿だった。丁寧に遅刻の詫びをいい、礼儀ただしい教師然とした人だった。私が何より聞きたかったのは「娘の中学時代の生活がどのようなものか知っていたか」ということだった。だが、インタビューは最初から噛み合わなかった。

――早苗さんが強姦されたことを知っていましたか。

「当時は、知りませんでした」 大介はあっさり言った。

――早苗さんが学校に相談したことは。

「学校からは聞いた覚えはありません」

――学校は当時、もっと早苗さんの話を聞いて欲しいと、下村さんを呼んだこともあったようですが。

「呼ばれて行かなかったことはないと思います。あの学校は荒れていた。生徒がむちゃくちゃしているのに、教員は叱らない。先生に嘗められているんです。いうことをきかんかったら、しっかり指導して、きかすんが教員でしょう。同業者として、あり得ないと思ったので、親として話を聞くところまでいきませんでした」

大介との関係作りに困った学校は実母に頼った。中学2年で不登校が始まった。理由を尋ねられた早苗は「上級生20名に囲まれて、殴る、蹴るのいじめを受けている。先生はその後ろを見て見ぬ振りで通って行く」と話した。大介はすぐさま学校に抗議をする。中学側はその事実を認めなかった。

「先生らはホンマにやる気がないと腹が立ちました」

首謀者の生徒を呼んでもらい中学の教員の前で、自分の生徒指導のように話をした。その生徒は泣き出した。ただ、私は「20人の生徒が1人の生徒を袋叩きにする。その後ろを先生が逃げるように通って行く」という状況が書割りのようで不自然に感じる。

取材で繰り返し出たのが早苗の嘘だ。虐待を受けた子が嘘をつく例は多い。変わり身を早くして、叱られないようにするためだ。しかし、父は娘を信じた。早苗は中学の教師との信頼関係が作れなかった。教師側が親しくなったと感じても、翌日には「死ね!」と罵声を浴びせて、学校を飛び出した。

繁華街でたむろして、夜はカラオケや非行仲間の家に行く。バイクを乗り回して補導された。当時の仲間の一人は言う。

「早苗はテンション高かったから、おったら楽しかった。でも、よく嘘をついたから、仲間からは信用されていなかった。人の恋人を取ることもあったし。何でもしゃべるけど、大事なことや、助けのいることは何もしゃべらんかった」

トラブルになるとすぐに姿を消した。そんなとき仲間たちは「早苗が飛んだ」と言った。

結婚・出産・離婚

早苗は平成18年5月に当時大学生の羽木と交際を始め、同年12月に結婚。結婚半年後の19年5月に長女出産。桜子と命名。続いて平成20年10月に長男を出産。楓と命名する。

捜査関係者や羽木の両親によると、下村は、長女、桜子ちゃんが生まれた当初は、真剣に子供の面倒をみており、子供との充実した生活を自身のブログにもつづっていた。その後、長男、楓ちゃんも生まれたが、長女が満2歳、長男が生後7ケ月の平成21年5月に離婚し、母子3人で暮らし始めた。1人で2人の子供を育てながら、飲食店で勤務するようになった。

平成22年1月、飲食店よりも短時間で稼げる大阪・ミナミのヘルス店に転職。同時にヘルス法人が部屋を借り上げている現場マンションに転居する。店関係者によると「仕事に来るといってこなかったりで、まじめな勤務状況ではなかった」といい、嫌々働いていたとみられる。

実家で両親と暮している元夫の羽木は「誰とも会いたくない」と話し、声をかけても返事もないという。デンソーに勤務し、愛車はアウディとのこと。

2007年頃のブログ

ヘルス嬢・下村早苗は、離婚前の2007年12月~2008年年4月、インターネットの自らのブログに、わが子へのあふれる愛情をつづっていた。

長女の桜子ちゃん(3)が生後7か月だった2007年12月。熱中したいことは「桜子の服を探しに行って、着せ替え人形のようにオシャレすること」と記した。年末には1年間の思い出を書き残した。「ハタチになって1週間後、待望の娘を出産。だんだん大きくなるおなか、私はひとりじゃないんだと、思わせてくれた小さな命。わが子に対面したときは、言葉にならないほど嬉しかった」

桜子ちゃんが発疹を出した時には、「子供が元気ないことほど、心が痛いことはありません」。回復し、元気にはしゃぐ様子を見ながら、「可愛い娘と毎日をのほほんと過ごせることが本当に幸せ」と、母親らしい喜びをにじませた。

長男の楓ちゃん(1)を身ごもったことを知った2008年3月は、毎日のようにブログを更新。「来年は、もうひとり家族が増えてお花見だなあ」と、誕生を心待ちにしていた。翌4月には、「桜子が無事に生まれてとなりにいて、そしておなかの中には赤ちゃん。幸せに思う。これってわたしも母親として少しは成長できたんだろうか」まだおなかにいた楓ちゃんへのメッセージもつづった。「ただ、無事に産まれてきてくれたら、それでいいよ」――。

最後の記載から約2年後、下村は「子供の世話が嫌になった」と、2人を部屋に置き去りにした。

ヘルス店に勤めるまで

名古屋でキャバクラ嬢として勤めながらの子育ては大変だった。子どもたちは次々に熱を出し、医者には「お母さんと離れたくないイヤイヤ病ではないか」と言われた。仕事を休めば収入が下がる。   2009年10月に早苗さんは新型インフルエンザに罹患する。幼い子どもが命を落とすというニュースが流れていた。元夫と実父にそれぞれ子どもを預かって欲しいと助けを求めたが、どちらからも仕事があると断わられた。   同じ頃、第二子の楓ちゃんの1歳の誕生日を祝いたいと元夫を動物園に誘ったが、これも断わられる。しかも、当日は誰からもお祝いのメールや電話がなかった。   「私や桜子(長女)や楓のことは、なかったことにしたいのかなと思いました」   それまで子育てを頑張って来た早苗が新しく恋人を作るのは、それから約1週間後だ。月末には職場を変わった。借金が返せなくなり、子どもを見てくれた友人とも疎遠になる。早苗の中で何かが壊れた。   2010年1月18日、早苗は2歳8か月になった桜子ちゃんの手を引き、1歳3か月の楓ちゃんをベビーカーに乗せて、大きな荷物を持って、大阪ミナミの老舗風俗店に面接に行った。桜子ちゃんは笑顔で早苗さんに甘え、楓ちゃんはぷくぷく太っていた。   対応した同店主任のMは「子どもたちのために学資保険に入りたい」と応募動機を語る早苗さんを「まじめな人だと尊敬した」と事件後供述している。   Mは店から徒歩10分ほどのところにある単身者向けマンションを寮として提供し、子どもたちのために託児所を探した。   Mはこの日、早苗さんとセックスをした。待遇を決め、生活全般を管理する彼を早苗さんは拒否できない。それに中学時代に性暴力を体験しており、男性の性的な働きかけを断わりにくい。レイプされる恐怖より、無抵抗を選んでしまう。   そのまま、新人女性として仕事に入った。同店は、全身を重ねあわせて客を愛撫するマットプレーを売り物にしていた。風俗のなかでもハードな職場だ。深夜12時に仕事が終わり、託児所まで迎えにいった。   桜子ちゃんが泣きながら駆け寄ってくる。泣いている子を放置している職員の働き方が腑に落ちない。二度と子どもたちを預けなかった。仕事中、早苗はレイプされたこともあったようだ。若い女性が次々参入し、風俗嬢同士の競争は厳しい。仕事そのものが激しいストレスだ。   3月に入って、客としてきたホストと恋仲になった。マンションに戻らない時間が長くなる。   「家に帰ると、桜子と楓がいるのが嫌だった。桜子と楓が嫌いなのではなくて、(二人の周囲に)誰もいない。その時の状況全てが嫌だった」    早苗は桜子ちゃんに自分を重ねていた。桜子ちゃんは、幼い時、母に置いていかれた自分自身だ。自分の姿を直視できない。    弁護士が聞く。

「6月9日に2食分を残して部屋を出ましたね」

「戻らないつもりは全然ありませんでした」

「一般的には、食事と水がないと死んでしまうことはわかりますね」

 泣きながらうなずく。

「それが50日間続きますが、頭に浮かびませんでしたか」

「考えないようにしていました」

「今思うと、どんな感じですか」

「考えが浮かばないわけではないので、上から塗りつぶすような感じでした」

「子どもたちがいなくなって欲しいという考えは?」

「ありません」

 子供相談センター

下村容疑者がことし1月、風俗店で勤務しながら家族3人で住み始めてすぐのころ。昼夜問わずに泣く子供の声が周囲に響き、部屋のインターホンの受話器が外れていたのか、未明の廊下に、インターホンから「ママー、ママー」と叫ぶ子供の声が漏れることもあった。

ある住人は「尋常ではなく、複数の赤ちゃんが泣き叫んでいる感じ。目が覚めることが何度もあった」。実際に住んでいたのは赤ちゃんではなく、3歳児と1歳児だった。

事件のあったマンション住人が3~5月にかけ虐待ホットラインに3回通報し、児童相談所の大阪市子ども相談センター(大阪市中央区)が同時期に5回訪問したが室内の状況はつかめなかった。2008年施行の改正児童虐待防止法で強制立ち入りが可能となったが、強制立ち入りは出頭要求に2回応じなかった場合などに、児童相談所が裁判所に許可状請求して行う。出頭要求には保護者や子供の名前が必要だが、今回は分からず強制立ち入りできなかった。

厚労省担当者は「名前が分からないと難しい。あまりないケースだ」と困惑。マンションを訪問した同センター職員は「物音も子供の泣き声もなかった」と話した。

下村早苗の父・下村大介

中学生の頃の下村早苗
中京テレビで家出少女として取材されていた下村早苗

下村大介(三重県四日市市)は、四日市市のラグビー強豪校である、三重県立四日市農芸高校の有名監督。
三重県立四日市農芸高校のホームページなどによると、ラグビー部は年末年始の全国高校ラグビー大会に15度の出場を誇る名門。
三重県立四日市農芸高校で保健体育の教員を務める下村早苗の父親、下村大介は、ラグビー部の監督として27年間、指導にあたっている。
下村大介は、今年は3年生の学年主任も務めており、同校事務員によると「熱血漢で生徒の信頼も厚い」。

テレビ番組の取材なども受けたことがあり、下村大介は四日市市内では名を知られた人物だった。
ラグビー部は夏休み中も練習を行っているが、この日午前に行われた練習に下村大介は姿を見せなかった。

下村早苗の父親、下村大介さんは、今回の事件を受け

「(下村早苗容疑者の離婚から)1年以上、娘にも孫にも会っていなかった。(娘らが)どこにいるのかも、はっきりしなかった」と話した。

また、下村早苗容疑者と父親、下村大介さんらが以前に暮らしていた住宅近くに住む60代の男性は、学生時代の下村早苗容疑者について「派手な格好をしていてグレたような感じがあった」と振り返った。

下村早苗容疑者は2006年12月に結婚、昨年5月に離婚しているが、府警捜査1課によると、下村早苗容疑者は子供2人を置き去りにして家を出た理由について「自分の時間が欲しかった。育児放棄が原因で殺してしまった」と供述。

今年6月下旬頃から下村早苗は妹や友人宅などを転々としていたが、7月上旬頃には元夫に電話をかけ「仕事をしながら子育てするのは大変でしんどい」と訴えていた。

熱血指導でラグビー部を花園常連校に育て上げた父親、下村大介さんがいながら、下村早苗容疑者は子育ての悩みについて、父親に相談したり助けを求めたりすることはなかったという。

下村大介の一番目の奥さんは、85年卒業の下村大介氏の教え子で、長女の下村早苗容疑者含め三姉妹の母親であり、二番目の奥さんとの間には子供はいない。下村早苗容疑者の母親(=最初の奥さん)が出て行った原因はDV。

下村早苗容疑者の母親は、高校出たてで世間も知らずに教師の下村と結婚してDVで離婚して出て行き、今頼られても自分が生きていくのに精一杯で、孫の面倒までは見れなかった。家を出たのは下村早苗が小学校低学年のとき、今はおそらく再婚しており、下村早苗にとっては頼ることが出来なかった。

そして下村大介氏は昨年3回目の結婚。お相手は高校卒業したてのラグビー部マネージャーである。

2012年公判開始

実の子の遺体発見後にもセックス

風俗店の紹介写真

2010年6月に大阪市のマンションで幼児2人が置き去りにされ死亡した事件の裁判員裁判は2012年3月7日、大阪地裁(西田真基裁判長)で被告人質問があり、殺人罪に問われた母親・下村早苗被告(24)が、遺体を発見した後に連絡を取った知人男性と会い、性交渉していたことが分かった。

被告人質問で下村被告は、弁護側から長女・桜子ちゃん(死亡時3歳)と長男・楓くん(同1歳)に対する未必の殺意の有無を問われ、「それは違います」とはっきりとした口調で殺意を否定した。だが、遺体発見当時、すぐに警察には通報せず、知人男性に連絡したうえで、一緒にドライブに出かけた先で写真を撮り、性交渉まで行ったことの事実確認を弁護側から求められると「そうです」と認めた。

一方、検察側は2010年1月ごろに名古屋から大阪に転居した理由について、下村被告の不在時に桜子ちゃんが水道の蛇口をひねり、部屋の床を水浸しにした出来事に言及。階下にも水漏れするほどの状態だったが、下村被告は「(マンションの)管理会社から一度連絡があったけどそれきりです」。謝罪や修繕はおろか、家賃も払わないまま“夜逃げ”するという非常識な行動も明らかになった。

午前中に行われた証人尋問では、幼児2人が受けた苦痛について精神科医が「おそらく汗をなめ、尿を飲み、便を食べていたと推察できる。飢餓の苦しみは大量虐殺と同じ程度」と証言。下村被告はうつむいて聞いていた。

高校ラグビー界の名将”実父の下村大介氏が証言(2012年3月8日)

2010年6月に大阪市のマンションで幼児2人が置き去りにされ餓死した事件の裁判員裁判第4回公判は2012年3月8日、大阪地裁(西田真基裁判長)で開かれ、殺人罪に問われた母親・下村早苗(24)の実父の高校教諭下村大介氏(51)が証人として出廷し、下村早苗の悲惨な生い立ちを語った。

高校ラグビー界の名監督としても知られ、今年度の全国大会でも勝利に導いた下村氏は証人尋問で、下村早苗が5歳ぐらいだった時の出来事を告白した。当時からチームを率いており、合宿から帰宅すると「知らない男が布団の中にいた」。下村早苗の母は夫・大介氏の浮気が原因で離婚したが、妻も同様だったという。

その後、下村早苗の実母は長女の早苗ら3姉妹を連れて家出し、別居。午前2時ごろに下村早苗から実母がいつもいないと電話があったことも。別居当時、下村早苗が暮らしていた住居は、室内飼育の犬の汚物の臭いがきつく、子供らの服は汚く髪の毛もベトベト。大介氏は「(当時の下村早苗は亡くなった孫の)桜子や楓と同じ無表情でした」と振り返った。

下村大介氏は離婚して3人を引き取ることにしたが、つらい状況は続いた。下村早苗が小学3年当時に再婚した相手には連れ子がいたが「運動靴を買ってもナイキと(自分の3姉妹は)ワゴンセールで売ってるような靴。Tシャツもディズニーキャラクターのものと安いシャツ」。差別的に扱われ、大介氏はのちに離婚した。証言の間、下村早苗は何度も涙を拭っていた。

大介氏は、下村早苗が幼いころに自身が離婚や再婚を繰り返したことで不安定な家庭生活を送らせた、と証言。「子育てには自分なりに最善を尽くしたつもりだったが、こんなことになり、孫には申し訳ない。自分も罪を背負って一生償っていきたい」と述べた。

また、下村早苗の鑑定を行った関係者も証言し、弁護側証人の心理療法士は「被告は実母の慢性的なネグレクト(育児放棄)などの影響で、一種の解離性障害があった」と指摘。これに対し起訴前の鑑定人は「被告に精神障害はなく、犯行は被告の意志で行われた」との見解を示した。

1審判決は懲役30年(2012年3月16日)

大阪市内のマンションで幼い姉弟2人の遺体が見つかった虐待死事件で、殺人罪に問われた母親の無職、下村早苗被告(24)の裁判員裁判の判決公判が16日、大阪地裁で開かれた。西田真基裁判長は下村被告には殺意があったと認定、懲役30年(求刑無期懲役)を言い渡した。

検察側は論告で、「被告は幼い子供に食事を与えず、部屋の扉に粘着テープを貼って閉じこめたまま約50日間帰宅しなかった」と指摘。被告には殺意があったとし、「わが子2人を飢餓状態にさらし続けた前例のない事件で、2人の絶望感は筆舌に尽くしがたい」と非難した。

一方の弁護側は最終弁論で、「被告は幼いころに受けた育児放棄などが影響し、恐怖を無意識に避ける特殊な心理状態にあって死ぬことに意識が働かなかった」と反論。殺意はなく、保護責任者遺棄致死罪にとどまると主張した。

下村被告は最終意見陳述の際、涙を流し「もう一度2人を抱きしめたい。こんなひどい母親ですが、私はこれからも2人の母親でいます。一生2人を背負って、罪を償って生きていきます」と述べていた。